ゆるゆる生活

Rumが日常と思ったことをゆるーく執筆します。双極性障害と共に生きています。

自分の本当の理想について

「理想」とは自分がなりたい姿であったり、自分が求める社会の姿であったりすると思う。

 

またまた昔の話に遡るので周りくどくなります。

 

僕は小学校、中学校と相当なバカであった。

中学では殆どが赤点。

高校でも285人中、283番目の成績であった。

 

高校は公立高校にしては野球が強い学校に入った。

前年度で私立の強豪校を倒して話題になったこともあり部員は同期だけで27人も集まった。

ここで僕の人生二度目の挫折が始まった。

中学までは市選抜の候補に選ばれるまでの遊撃手であり、高校に入っても最初はある程度期待されていた。

しかし、二年半の努力の結果、背番号ももらえず、千葉のマリンスタジアムで行われる開会式にも出ることはできなかった。スタンドから見る景色。本当に悔しかったのを覚えている。イップスという精神的要因からくる運動尾障害に悩まされ、小学生でもできるキャッチボールすらできない状態になったから仕方なかrったのではあるが。。

 

ここで僕は、もう勉強しかないと思った。野球がだめなんだったら、やればやっただけ結果がでる受験勉強で結果を出すしかないと思い立った。

結果、部活動引退後の7月時点では偏差値30であったものを半年間で受験当日には70近くまであげて、私立ではトップに近い慶應大学に合格した。これは我が母校野球部初の快挙だったらしい。現役で受かるということは。

 

(今振り返ればこの半年間は完全に躁状態であった。一日少なくとも13時間以上は勉強していたし、殆ど友達との連絡もとっていなかった。)

 

そこで舞い上がっていたのかもしれない。

そして大学に入ると、各地方からエリートというか、有名な進学校の出身者ばかりがあつまっていた。僕の高校なんか全国的には知名度が低すぎるので「え?どこ?」みたいな感じであった。でも大学生活を続けていけば馴染んでしまうものでいつしか僕は、この慶應大学の「理想」に洗脳されていった。「30歳で1000万円稼ぐ」そんな自分の理想なのかだれの理想なのかわからない理想を胸に抱くようになり、なあなあと時間を過ごしていくうちに就職活動を迎えた。僕は何の疑問も持たずに大手の会社ばかりを受けていた。待遇がいい会社、誰もが知っているような大企業、みんなが憧れるキレイなオフィスで働くことばかり考えていた。

 

しかし、現在僕は一年と少しの期間を働いた上で、会社を退職になり無職になった。

きっと誰かが作り出した理想を生きていた結果だろう。本当に自分がやりたかった生活ではなかったのだ。

結果、社会人になってから出会った彼女とも別れることになった。有名大学を出ていて、そりゃ安心するだろう。でも僕には毎日が楽しくなかった。営業で毎日ぺこぺこ頭を下げて必死に稼いだって何も楽しくない。

 

日本人の半分くらいが使うアプリの広告営業をしていたのだが、僕は何も楽しくなかった。何がノルマだ。僕はそんなことをするために生まれてきたわけではない。

 

もっとゆっくり暮らしたい。親の理想、彼女の理想、地元の友達の理想を生きた結果だと今初めて気付いた。

 

少しずつでいいから本当の自分の理想を生きたいと思う。

 

もう洗脳は終わりだ。日本人の幸せは洗脳されすぎている。

 

僕は僕の理想を見つける。