ニュージーランド生活
しばらくブログ書いてませんでした。
この約1年間振り返ると沢山の出来事がありましたが、今となっては殆ど記憶がありません。さすがにそれも勿体無いと思い久しぶりに言葉に残したいと思います。
何か一つのテーマに絞ったもでではなく、乱文になると思います。吐き出したいことが沢山あるので。。
まず、今年の6月からニュージーランドに来ています。
主な目的は休憩と語学取得(英語)
一番人口が多い、オークランドの語学学校に通いながら、週末はゆっくりと過ごしてします。
ニュージランドの人口は450万人ほど。横浜市より少し多いくらいです。
大きさは日本の国土面積の2/3くらいの大きさです。
車で街を抜けると一面こんな景色です。
ひたすら農場が広がるのどかな国です。
どこにでも羊がいます。これだけの面積がありながら、450万人くらいしか人がいないのだから当然、羊の数の方が圧倒的に多いです。
オークランドは首都ではありませんが、一番の人口を誇り100万人ほどが暮らしています。いきなり人がいない所に行くのも怖いのでとりあえずオークランドを選らんだ感じです。
家の前はMISSIONBAYとういうビーチがあります。
とりあえずニュージランドの紹介はここまでにして、ここに来た経緯を書こうと思います。
去年、過労により倒れ、解雇通告を受けてから1年間はもちろん動けなかったものの、友人の紹介により工事現場などで働き、少しですがお金を貯めていました。
これまで、ストレートで大学に入学し、休むことなく進み続けやっとこさ「ふらふらしている」という状況になりました。その分、沢山考え、自分と向き合う時間を持てたと思っています。
途中、断薬や病院嫌いが伴って非常に体調が悪い時期もありました。
実は6月にこっちに来てからも断薬中のまま来ていたのもあってか体調が急激に悪化し、海外引きこもりも経験しました。死ぬような思いで身体だけ日本に帰国し、一ヶ月くらい寝込んでいました。そこで約1年ぶりに薬を再開し、ラミクタールを飲み始めています。
病院も3つ目で良いと思える先生と巡りあえ、自分で納得した上で薬を飲み始めました。
その甲斐あってか少しずつ体調は安定してきたと思います。たまに意味もない不安にお襲われることもありますが、夜はなるべく考えないように、睡眠薬を飲んで眠るようにしています。
先生から「ストレスと感じるものからはとにかく逃げなさい。無理に闘う必要はない」と言われたことをたまに思い出しながら、自分の好きなように行動しています。
さらに「あなたはとにかくトライしてそのうち自分にフィットすることが見つかるでしょう。ダメだったら次、それくらいの気持ちが良い」とも言われ、我ながらすごく納得したのを覚えています。
正直こっちに来てから具体的な先のプランがあるわけではありません。
ただ、このまま日本にいたら、「生き急ぐ空気」に流されてしまうと思ったのです。
周りの友人は会社勤めが多くなり、時間も合わなくなってきて、「自分もフルタイムで働かないといけないのではないか」という気持ちにどうしてもなってしまいがちだったので、とにかく飛び出したいという気持ちが一番にありました。
その中で語学学校に通うという選択は自分と似た様な境遇にある人に出会えるのではないか、似てはいなくても僕が勝手に感じる日本の固定概念(大学を出たら会社で働かなくてはいけないみたいな)とは違った、もっと人生を楽しむ、我の道を進むという人に出会えるのではないかという期待もありました。
他にもマルタやオーストラリア、カナダなどの候補もありましたが、なんとなくニュージーランドが自分に合っているのではないかと思いました。他の候補は訪れたこともありますが、もう少し「これがしたい!パーティーを楽しみたい!」みたいな気持ちを持った人が多いのではないかという考えがあったからです。そして何よりも自分の趣味である釣りを楽しめるであろうと思ったからです。これくらいしか考えていなかったです。
そのため、到着直後は言語の壁、文化の違い、物価の違い、思ったよりも何もなさすぎて暇なこと(笑)にショックを受け非常に気分が落ち込んでいました。
本当に日本が恋しくなり、そして鬱になり、ここに来たことを少し後悔したような気もします。
しかし、英語を少しでも身につければ自分の自信になるのではないか、帰ったところで今やりたいことがないということから一時帰国後もこっちに戻ってきています。
その中でやっと落ち着くことができこうやってパソコンに向き合う時間が取れました。
また気が向いたら、最近の考えやつぶやきを書きたいと思います。
双極性障害の何が幸せかを簡単に語る①色んな考えが浮かぶ(複数思考)
今回は辛いことではなくて幸せなのかもな。って思うことを記事に書いてみます。
過去の記事
でも少し触れましたが、双極性障害患者には一種の成功体験がこれまでの人生の中であるのではないかと僕は考えています。
僕は23歳です。今年で24になります。若気の至りだよと言われるかもしれませんが、心のどこかで漠然とですが「自分は何かできる。」と信じています。
本当に漠然としていますが、毎日、毎分のように考えは変わりますが様々なことを思いつきます。
これは億万長者になろうとか、高級車を買おうとかそういうものだけじゃないと思うんです。僕らは心のどこかに強い寂しさと悲しさを抱えている。だからこそ人との繋がりを大切にしますし、何よりも自分を必要としてくれた人に対してどこまでも尽くそうとしてしまう傾向があると思います。
これは人に必要とされることで自分の存在価値を見いだそうとするからではないでしょうか。
多分、鬱が激しい時期でも自分を必要としてくれる人がいれば、よし自分も動こうか(無理せず)となります。更に泣き顔なんて見せられたらたまったもんじゃありません。
僕の場合、「こいつ一生賭けて守ったる!」「え?名古屋?明日仕事?知らねえよ今から行くわ」と次の日が仕事なのに関わらず、深夜に車で名古屋に向かったこともあります。これらの状況、もちろん鬱の時は無理です。でも躁状態、あるいはフラットな状態だとこれができてしましますし、人と話したいってなるんですよねえ。
少し長くなりましたが、このように大きな夢(プロ野球選手になるとか総理大臣になる)とかももちろん思いますが、
ある人や組織に対しても全て
「自分がなんとかしてやる!できる!」
と思ってしまうんですね。困ったものです。(ガンジーかよお前!って友達に言われました
僕は人に言われて初めて気付きました。「人の悩みは根本的に解決できない。」と。
そりゃそうですよね。話を聞くことはできますが、極論それ以上はできないですよね。
パワハラを受けて苦しんでいる人がいて僕は本気でその人の会社にいって、殴り込みに行こうかと考えていました。だがそれはできず、「一生傍て支えるよ、逃げないから」
と伝えること、覚悟することに落ち着きました。本気で覚悟しましたし、これも本来無理なことですよね。その人が自分以外の人と海外旅行中に海に溺れたらりしたらすぐに助けに行けません。その時は祈るだけです。でもこれを覚悟するだけでも相当無理をしていたんだと思います。
また話がそれましたが、今まで述べたのは少し危険な一面です。
人生は行きていれば目の前に色々と転がってきます。楽しそうだなと思うこと、これやったら幸せだろうなと思うこと、守りたいなと思うこと…。
それらのことに対して、何か一つに熱中してしまうのです。
なぜかというと自分が寂しいから、そこで一気に集中して「やること」を見つけ猛進する。これ冷静に考えれば現実逃避だと思います。
まず本能的に、一時的に集中はできてもそれが続かない。
だからこそできると思ったことも自分の理想通りはできないですよね。
躁鬱病患者である坂口さんも以下のように述べています。
躁鬱講座基礎編①
— 坂口恭平 (@zhtsss) 2015年2月24日
躁鬱人はまず一つのことに集中することができません。この道一筋が全く性に合いません。基本的にいくつもの仕事を持つようにしましょう。仕事といっても金が稼げなくても実は全く構いません。大事なことは注意散漫にすることです。ながら仕事が大事なのです。複数思考が得意なのです
このツイートを見た時にすごくハッとしたのを覚えています。
やっぱりそうだったのだと。
だからこそ、私たちは何か一つに依存してはそれが崩壊した時に鬱になります。
自分の強い執着心によって崩壊することもしばしばです。
だからこそ、依存先を拡散して様々なことに手をつけることが向いている。そしてできるのではないかと思っています。
何度も言いますが、「何かできる」を一つに執着すると危険です。
その何かに対しても様々なアイディアが浮かぶのですが突き詰めすぎてしまうと危険なのです。
マルチに、意識を、生きる意味を拡散させる。
だから友達も一人じゃだめです。複数持つべきです。
でもそれって普通の人にはできないんじゃ??
今日はここまで。
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双極性障害の何が辛いかを簡単に語る③躁状態の過去を思い出すのが辛い
誰しもが辛い過去をお持ちでしょう。
悲しくて思い出したくないような、過去。辛すぎて忘れかけていたのにふと思い出される過去。
しかし、
双極性障害患者にとっての辛い過去は躁状態になっていて、上手くいっていた過去です。
私たちは、躁状態になると、「自分ならなんでもできる」「努力をすればなんでもできる」「自分にしかできないことがある」と本気で思います。
「僕も市議会議員に立候補したら絶対受かるだろう!」
「起業したら絶対成功するだろう!」(今でも小さい規模での起業欲はあるのでこの考えとはずっと闘っていますが。)
「アイドルだって頑張れば口説けるっしょ!」(これは極論ですが、、)
こんなことを思います。アイドルの流れになったので話しますが、躁状態の時は平気で街で見知らぬ女性に声をかけるときもあります。大抵は無視されますが笑
多くのことができないのですが、
ごくたまに、スーパー躁モードになると実際にできてしまうことがあります。
いわば成功体験があります。
僕の場合は受験勉強であったり、会社の営業成績であったり。
ママチャリで本州を走りきったこともありました。
もちろん全てではありませんが、時にはとんでもないようなことを成し遂げてしまうことがあるんです。人から羨ましがられるような。
そのときは「集中力がすごいね!」「やる時はやるね!」「行動力半端ない!」
と周りからも言われ嬉しくないわけがありません。
さらに小さなことでわかりやすいこととしては人が悩んでいたら、
「自分が解決できる!」
と思ってしまいます。だからこそ厚かましくしてしまうこともありますが。。
更には余裕がある時は大きなお金を使って、一晩中遊んでしまうこともあります。
何かに成功した時、人を助けた時、お金を使った時、その時は最高に楽しいのです。
しかし、その状態は長くは続かない。
一人になったり、ふと考える時間ができると、動けなくなってしまう時があるのです。
理想が高かったり、自分なりの成功体験があるから
「あんなにできたのになんで今はできないないんだろう」
「あれだけできたのだから次はもっとできるだろう。でもできない…。」
鬱の時の思考はだいたいこんな感じです。
そして動けなくなってしまった今、全ての過去に対してこの感情を抱くのです。
しかし、
過去に囚われず、 未来に怯えず、 今を生きろ。
とホリエモンも言うように、過去が戻って来ないことはわかっています。
言葉で言うのは簡単ですが難しいのです。過去と決別したい。
もしくはそれもプラスに共に歩みたい。
自分の本当の理想について
「理想」とは自分がなりたい姿であったり、自分が求める社会の姿であったりすると思う。
またまた昔の話に遡るので周りくどくなります。
僕は小学校、中学校と相当なバカであった。
中学では殆どが赤点。
高校でも285人中、283番目の成績であった。
高校は公立高校にしては野球が強い学校に入った。
前年度で私立の強豪校を倒して話題になったこともあり部員は同期だけで27人も集まった。
ここで僕の人生二度目の挫折が始まった。
中学までは市選抜の候補に選ばれるまでの遊撃手であり、高校に入っても最初はある程度期待されていた。
しかし、二年半の努力の結果、背番号ももらえず、千葉のマリンスタジアムで行われる開会式にも出ることはできなかった。スタンドから見る景色。本当に悔しかったのを覚えている。イップスという精神的要因からくる運動尾障害に悩まされ、小学生でもできるキャッチボールすらできない状態になったから仕方なかrったのではあるが。。
ここで僕は、もう勉強しかないと思った。野球がだめなんだったら、やればやっただけ結果がでる受験勉強で結果を出すしかないと思い立った。
結果、部活動引退後の7月時点では偏差値30であったものを半年間で受験当日には70近くまであげて、私立ではトップに近い慶應大学に合格した。これは我が母校野球部初の快挙だったらしい。現役で受かるということは。
(今振り返ればこの半年間は完全に躁状態であった。一日少なくとも13時間以上は勉強していたし、殆ど友達との連絡もとっていなかった。)
そこで舞い上がっていたのかもしれない。
そして大学に入ると、各地方からエリートというか、有名な進学校の出身者ばかりがあつまっていた。僕の高校なんか全国的には知名度が低すぎるので「え?どこ?」みたいな感じであった。でも大学生活を続けていけば馴染んでしまうものでいつしか僕は、この慶應大学の「理想」に洗脳されていった。「30歳で1000万円稼ぐ」そんな自分の理想なのかだれの理想なのかわからない理想を胸に抱くようになり、なあなあと時間を過ごしていくうちに就職活動を迎えた。僕は何の疑問も持たずに大手の会社ばかりを受けていた。待遇がいい会社、誰もが知っているような大企業、みんなが憧れるキレイなオフィスで働くことばかり考えていた。
しかし、現在僕は一年と少しの期間を働いた上で、会社を退職になり無職になった。
きっと誰かが作り出した理想を生きていた結果だろう。本当に自分がやりたかった生活ではなかったのだ。
結果、社会人になってから出会った彼女とも別れることになった。有名大学を出ていて、そりゃ安心するだろう。でも僕には毎日が楽しくなかった。営業で毎日ぺこぺこ頭を下げて必死に稼いだって何も楽しくない。
日本人の半分くらいが使うアプリの広告営業をしていたのだが、僕は何も楽しくなかった。何がノルマだ。僕はそんなことをするために生まれてきたわけではない。
もっとゆっくり暮らしたい。親の理想、彼女の理想、地元の友達の理想を生きた結果だと今初めて気付いた。
少しずつでいいから本当の自分の理想を生きたいと思う。
もう洗脳は終わりだ。日本人の幸せは洗脳されすぎている。
僕は僕の理想を見つける。
自分が創りたい「居場所」ってなんだろう①喫煙所?
僕の夢は今まで関わった人(病気になってからTwitterなどで関わった方も)の心の拠り所となるような居場所を創ることだ。釣りが趣味であるので、自分で釣った魚を出す魚料理屋を作りたいというのが現状の夢だ。
そしてまとまった時間ができたために、本当に自分が理想としている、自分にしか創れない「居場所」はなんなのだろうかと考えてみることにする。
(もしかしたらブログを書いている時は躁状態なのかもしれないので、本当に自分が「居場所」を創りたいのかも含めて考えている。)
なぜ居場所か?
自分自身の居場所を創りたいということが一番のモチベーションかもしれない。
この夢は大学生になった時からずっと思っている。
少し昔の話を振り返ってみる。
僕は高校まではずっと野球しかしてこなかった。その他のことはあまり記憶がない。
思えば、中学までは上手く行ってた野球でも高校の時に”イップス”という運動障害に悩まされていた。一種のトラウマにより、普通のキャッチボールさえもできなくなってしまう病気だ。本当に腕が思うように動かないのである。プロ野球選手でも悩む選手もいるためご存知の方もいるのではないだろうか。
まぁこの話はまた詳しくするとしよう。
そして大学に入ると、そこには様々な地域から集まった色んなやつがいた。
最初は様々なサークルや部活動に所属した(少林寺憲法、バドミントン、スポーツ新聞会、フットサル、、などなど)
しかしいつしか、どの団体にも属さなくなっていた。
恐らく高校までの野球生活で団体行動に疲れていたのだろう。
ふとしたきっかけからある授業で仲良くなった奴と絡むようになっていた。
主に4人。全て僕より年上の奴らだ。1浪のやつ一人(仮面浪人)、2浪のやつ2人、6つ上のやつ1人(彼は国立大学を卒業してからもう一度大学に入った)。
みんな苦労していた。そしてそこからだ、僕は彼らに勧められ煙草を吸い始める。
自然と大学の喫煙所がたまり場になっていった。
そこから僕の大学の友達といえば喫煙所に集まる奴らが主な友達となっていった。
そこで会う奴らもまたどこか苦労していた。
僕自身の考えであるが、煙草を吸うやつらは苦労人な気がする。笑
これには反論もあるであろうが、まず何かきっかけがなければ吸う奴はいないだろう。
グレていいたという捉え方もあるだろうが、僕の周りには孤独と必死に闘っていた結果、「たばこが友達」みたいな奴が多かった。精神病患者も多かった。
集まる時間と言えばみんな授業をさぼっていたり、授業の合間だったりと、
特に”集合”の合図をしなくても集まってきたのだ。
そして、親には申し訳ないがだらしのないどこにでもいるような大学生だったため、時間など気にせず長い間たわいもない話をしていたことを覚えている。
例えば、次やるバイトは何にするかなど。その場で友達と一緒に応募したこともあったっけ。
僕が双極性障害の診断を受けたのは大学を卒業してからであるが、自然と喫煙所に集まったのも今考えれば必然だったのかもしれない。
でも大学を卒業をしてバラバラになってしまった今では誰かが”集合”をかけなければ当時仲良かった奴らが集まることはない。
喫煙所といえば、会社内、駅前と至る所にある。(今は減ってきているが)
でもあの大学時代の喫煙所の雰囲気はない。みんな何かに縛られて、次の予定へと向かっていく。当たり前であるが駅前の喫煙所で知り合いに会うことはほぼ皆無である。前職では仕事柄毎日のように新橋に行っていた。
新橋のSF広場前の喫煙所。あそこは全国でも有数の人が集まる喫煙所であろう。だが、みんな孤独に煙草を吸っているのだ。なので特に集合場所という意味はなしていないし、あの頃のような開放感は全くない。
特に”集合”の合図もなく知り合いが集い、日頃の鬱憤などを晴らす。
それよりは夢を語るのがいい。何がしたいとか、こんな楽しいことがあったとか。
場所は喫煙所という形でなくてもいい。僕が創りたいのはそんな場所だ。
双極性障害の何が辛いかを簡単に語る②脳の病気は他人からはわからない
では主に自分の中で完結する問題であったが、他者との関わりにおいても辛いことが沢山ある。
職場に行けなくなった時、友人との約束を守れなかった時、そして特に病気をカミングアウトした時、
”心が弱いやつ”、”怠け者”と思われてしまうことだ。
実際のところ本当に全ての人にそう思われているわけではないと思うが、
「逃げるな」「甘えるな」「お前が悪い」「もっと頑張れ」
という言葉をかけられてどれだけ辛いことか。
心の病気だと思うかもしれないが、双極性障害はれっきとした脳の病気である。
心の持ちようでどうなる病気ではない。これまで生きて来た環境、生まれ持った遺伝子が引き起こしたものであり、絶対に避けられなかったことである。
頑張りすぎてしまって、脳が「身体も脳も休めてくれ〜」と警告をならしてくれているのである。
そして、双極性障害になる人はTwitterなどで仲良くさせてもらっている人の言動からもわかるように、誰よりも自分の人生、そして時には他人のこと(人の気持ち、痛みがわかる人が多い気がする)を真剣に考えいる人達だ。誰よりも真面目に真剣に。
「どうにか理想の自分に近づきたい」、「困っている人を助けたい」その気持ちのエネルギーが強すぎるがために理想と現実のギャップに苦しんでしまっているだけのことであると、自分も当事者でありながら思う。
だから自分は思う。
ちゃらんぽらん生きてきた人がこの病気には絶対ならないと思う。だから絶対に報われる。
誰かを助けることができる人なんだよ。
脳の病気は他人からはわからないから辛い。
死にそうなほど苦しいのにだよ?
不謹慎だけどいっそのこと癌とか、骨折とかになってくれと思ったこともある。
普通の人にはわかってもらえないことが多いんだよね。それが辛い。
双極性障害の何が辛いかを簡単に語る①自分が考えていることに関して自信が持てない
まず、なんと言っても自分が考えていることに関して自信が持てない。
この理由としては、調子がよく色々な考えが浮かぶ時に、躁状態にあるんじゃないかという不安が一番の原因だと思う。
少し調子がよくなると色んなアイディアが思い浮かんで来る。
これもできるじゃないか、自分にはこれも向いているんじゃないかと、、
挙げ句の果てには自分ならなんでもできてしまうのではないか。
ということまで思いはじめてしまう。
人間どこかしら、「自分は他者よりは優れているのではないか」と思う心理があるそうだが、その域を越えて、自分は「何か使命を持って生まれてきたのではないか」とまで思ってしまうことがある。
単極性うつ病の人が「こんなに頑張れずに、周りの人に迷惑をかけるのであれば、むしろ死んだ方がましだ」という形の希死念慮となり、
双極性障害の方は、「こんな、何もできない自分だったら、生きている意味なんてない」という形の希死念慮になるのです。
上記は単極性うつ患者と双極性障害患者の希死念慮の比較についてであるが、
黒崎さんの仰る通りだと思っていて、僕らは何かしら生きる意味を求めてしまう。
実際、鬱で苦しんでいる時も
「何かできないか、、」
「自分は何かできるんじゃないか、、」
といったことばかり考えている。
言い方を変えてしまえば、僕らは生きるために他の人よりも大きなエネルギーを持って生まれてきたのではないか。
だからこそ、理想と現実、あるいは躁期と鬱期のギャップに苦しみ続けるのではないか。